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写真で語る農具川の歴史と役割
ボランテイア活動によって沿岸にアヤメやシバザクラ、レンゲツツジな どの植栽が進み、新たな観光地として注目を集めている。
30年ほど前にほ場整備が行われて沿岸の水田の耕地整理がされた。また近年、動植物に配慮した河川整備が進み、流路が安定した。
農具川は、他の河川に比べ水温が高く、流量が安定しており農業用水に適し、棲息する魚介類も豊富。
農具川とはどのような河川か
① 一級河川:青木湖-中綱湖―木崎湖―高瀬川
② 延 長:約17.5㎞、流域面積:約77㎢
③ 糸魚川静岡構造線に沿った仁科三湖(断層湖)から流出し、沖積地を流下。
④ 勾配はゆるく、1000分の10以下、市街地や周辺の農地を流下してきた水を集め、高瀬川に合流しており、下流ほど流量が増える。
農具川は生物の宝庫であり、内水面の漁場
農具川は水温が高く、多くの生物が生息している。
淡水魚類が多く、青木湖、木崎湖、北安中部の3つの漁業協同組合が、魚類を放流している。
青木湖周辺には、2万年前の旧石器時代に人が住んでいた。
木崎湖周辺には縄文時代の玉類の加工遺跡もある。
木崎湖周辺や農具川沿いには古くから人が住み、紀元前2世紀には稲作が始まっていた。
農具川に沿った東山山麓や小熊山の麓には約30基の古墳があり、古代の安曇郡にあった村上郷の中心地と考えられている。
① 平安時代末から鎌倉時代にかけて農具川の水を利用することにより大町や平地域の開発が始まり、仁科荘が成立した。
② 仁科氏が本拠としていた館之内など社北部は、農具川と居谷里の水を引いて開発が進んだ。
③ 室町時代になると飲料に適した鹿島川の冷たい水を引いて大町のまちづくりが進み、市街地の原型が作られ、市が開かれるようになった。
④ 室町時代には、鹿島川から引かれた水の一部は木崎湖へつながれ、木崎湖の増水に使われた。この結果、鹿島川が用水を供給し、農具川が排水を受け取りながら農業用水として使われる現在の水利用のシステムの原型がつくられた。
第2次大戦後、鹿島川の源流から青木湖へ導水して発電所が作られ、青木湖底21mの所に水門を設けて小熊山を縦断し、平から大町の農業用水を供給して大出に至る昭和電工の導水路が整備され、たくさんの水田ができ、いくつかの新しい集落が生まれた。